当店の職人から、じっくりと商品への思いを訊くインタビュー企画を開始。第1弾は、店長・松井の過去をお聴きしました。


――――松井さんは今治で育ち、上京後にパン職人になられたとか。本日は、現在までのキャリアを聴かせてください。

松井 わかりました。まず、パンに携わる仕事に就いたのは20年ほど前です。ただ、“パン職人歴20年”とは言えないですね。駅の構内にある全国チェーンのベーカリーでアルバイトとして働いていただけですし、そのころは音楽活動が本業でしたので……。

――――意外な経歴ですね。

松井 いまの姿からは想像できないかもしれませんが、そうなのです(笑)。ヴォーカリストとギタリストから成るユニットで音楽事務所に所属し、ライブやレコーディングのかたわらベーカリーのアルバイトを続けていました。

――――そこでパンづくりの基礎を学んだのですか?

松井 いえ、そこで体験できたのは焼成だけです。オーブンに入れる直前の状態まで調っている冷凍パンが店舗に届けられるので、生地に触ることすらありませんでした。ただ、朝から晩まで焼成を繰り返す作業がイヤだと感じたことはなかったですよ。むしろ、パンづくりが自分に向くことが自覚できたので、よかったと思っています。

――――実際に一連の作業を体験したのは、その後ですね。

松井 そうです。ある日、代沢(世田谷区)で小さなパン屋さんを見つけました。『ぴすとーれ』というお店なのですが、そこで売られていたパンに感動し、迷わず門を叩きました。私の申し出を店主の山下さんが快く受け入れてくださり、そこでパンづくりの基礎を教わりました。

――――『ぴすとーれ』の、どんなパンに感動したのですか?

松井 ハード系のパン、すべてですね。いまでこそ天然酵母を用いたハード系のパンは珍しくありませんが、まだ一般的なパン屋ではバゲットくらいしか見かけないころの話です。そんな時代に安全な素材を用いた美味しいハード系のパンを販売していたのですから、もう衝撃の二文字しか思い浮かびませんよ。山下さんは、自家培養発酵種を用いたパンづくりを広めた富ヶ谷(渋谷区)の名店『ルヴァン』の初期に、店主の甲田(幹夫)さんのもとで働いていた方です。いま考えれば、『ぴすとーれ』のパンにも『ルヴァン』仕込みの製法や考え方が詰まっていたのでしょうね。とにかく、すべてが衝撃的でした。

――――『ぴすとーれ』は存じ上げませんが、『ルヴァン』は私も何度か食べました。一度に一個を食べきれないほどのハードさだった記憶があります(笑)。確かにそれまでは、噛みごたえのある風味豊かなパンを時間をかけて楽しむような食の文化はなかったですね。現在のようにパン屋の数が多くなく、パン≒コンビニエンス・ストアで買う柔らかい食べ物、という感覚が強かったです。

松井 製法自体はヨーロッパ古来のパンづくりそのものですが、一周回って、当時はその感覚が新鮮でした。そのころは私も愛媛県産の柑橘「はるか」で発酵種を熱心につくっていましたよ。東京のお客様に地元愛を感じていただこうとして。また、山下さんから学んだことは製法だけではありません。「安全なパンを提供する」というコンセプトにも大きく共感しました。その後に自分でお店を持つときに、店名を『ペルタ(身体を守る盾)』と名付けたほど、影響されています。

――――なるほど。代沢でパンづくりを学んでいたときには、もう用賀(世田谷区)の『ペルタ』の構想はあったのですね。それでは『ペルタ』についても聴かせてください。

松井 はい。オープンは2014年の2月なので、もう5年前です。小さなパン屋でしたが、何から何までひとりで回していました。石臼製粉機を導入し、自家製の全粒粉づくりから行っていました。そうそう、この店はとても大きな問題を抱えての船出だったのですよ。

――――と言いますと?

松井 勢いで自分の店を開けてしまいましたが、天然酵母を用いるゴリゴリの現場しか経験がなかったので、ソフト系のパンの作りかたがわからなかったのです。どれくらい無知かと言うと、イーストの存在を知らなかったくらいです(笑)。ハード系だけで商売を成り立たせるのはきびしいですからね。この問題は、自分の睡眠を削り、何度もトライ&エラーを繰り返してイメージに近づけるという力技で解決しました。ですので、私のミキシングはかなりの自己流です。パンづくりの現場を経験している人ほど、生地の状態に驚きますよ。従業員から「こんなに緩い生地は扱えません」と言われることには、もう慣れました(笑)。けれど、自己流を続けたことで、いいこともあるのです。

――――それは、どのようなことですか?

松井 ひたすら回数をこなすことで、パンづくりの感覚を掴んだと言いますか、頭の中に思い浮かべたパンをイメージどおりに仕上げられるようになりました。師匠や先輩から正解を教わるような現場経験が薄かったぶん、そしてなにより店を継続するための責任感から、この感覚が研ぎ澄まされたのだと思います。とは言え、用賀の『ペルタ』は2年半で畳みましたが。

――――郷里に戻るためですね。そこには、どんなきっかけがあったのですか?

松井 2016年の夏に今治を訪れる機会があり、その際に話が転がった感じですね。『四村ショッパーズ』というスーパーマーケットがその年の春に店内をリニューアルし、スクラッチ可能なインストアベーカリーを始めていたんですね。そこの技術指導を頼まれました。そのころ、ちょうど娘を授かったばかりで……。気がつけば頭の中は、これから生まれてくる彼女と妻と3人で、愛媛で生活する様子ばかりが浮かんでくるようになり、帰郷を決心しました。『四村ショッパーズ』には、その年の秋から翌2017年の春まで勤務しました。ただ、その時点で松山に新店(『ペルタ・レクラン』)を出店する計画は決まっていたので、開店準備と閉店処理を平行して進めながら、20年ぶりに愛媛での暮らしが再開しました。と、ここまでが現時点での私のキャリアになります。

――――そんなキャリアの集大成である『ペルタ・レクラン』には多くの種類のパンが並んでいます。どんなことを意識しながらラインアップを充実させているのですか?

松井 商品ごとにテーマを決め、個性を持たせてつくっています。ですので、一歩離れて棚を見てみると、とりとめのないラインアップだと感じられるかもしれません。ここ数年はモチモチのパンが人気ということもあり、生地の水分量を増やしたパンが多いですね。「ヘーゼルナッツショコラ」や「キャラメルナッツ」のように、ハード系のパンに見えるが、噛むと柔らかい。そんなパンもご用意していますので、ぜひ見た目に裏切られてください(笑)。

――――最後に、いま目指しているパンの方向性を教えてください。

松井 今後はモチモチとは逆で、サクサクの食感が求められる気がしています。軽くて、歯切れがよくて、引きが弱い。そして、美味しい。そんなパンを目指して動き出しています。技術的になかなか難しいのですが、トライ&エラーを繰り返しながら納得がいく新作を仕上げたいと思います。

――――ありがとうございました。

(2019/02/07、『ペルタ・レクラン』にて収録)